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それを呪いと呼びたくば、呼べ-「春、忍び難きを」(作 斉藤憐)を鑑賞

周南市民劇場にて、劇団俳優座の「春、忍び難きを」(斉藤憐)を観劇してきました。

劇団俳優座「春、忍び難きを」
作:斉藤憐  演出:佐藤信・眞鍋卓嗣
あらすじ:敗戦の年。信州にある望月家は、庄屋であり、名士であった。そこに食糧難などを理由に、戦前、戦中は、農村を捨てた男たちが戻ってきていた。これまでは大地主であった望月家だが、農地改革など時代の波は迫ってきており、明るい未来を感じられる状況ではなかった。しかし、農村はただ農作物を生産するのみ。押し寄せるものに流され、あるいは抗おうとしている男たちのすぐ横で、農村の女たちは黙々と働いていた――。

「てめぇが毎日食っている米は誰が作っているんだ!」と斉藤憐は思った

「春、忍び難きを」を鑑賞して、私は「第一次産業のノブレス・オブリージュ」とでもいうようなものを感じました。「ノブレス・オブリージュ」とは、本来、貴族や王族が戦火など危機の際には我が身を捨て働くなどの、特権や高貴な身分に伴う義務のことです。
望月家では、家長の多聞こそ庄屋然として振舞っていますが、嫁のサヨ、出戻りの姉トメ、戦地より未帰還の次男の嫁よし江は農村の女らしく働いています。この3人は、一度は農村を捨てた男たちに何かと米やら豆やらを持たせてやります。食糧難の世の中で、庄屋として多少の備蓄はあるにしても、けして余裕はないはずです。血が繋がっているからもあるでしょうが、私はそこにもっと別のものをみました。農作物は食べられるために作られています。それを一番よく知っているのが、農村の女たちなんだろうなと思いました。
3人の農村の女たちは一度として、望月の家を離れません。特によし江には何度か離れる機会が訪れます。しかし離れない。家に縛られているようでもあり、呪いのようにもみえます。しかし、私は思うわけです。それを呪いと呼びたくば呼べ。井上薫さん演じるよし江は「東京には土がねえもの」と言います。愚直で美しい彼女は土に魅せられていて、私も彼女がみているものに魅せられました。

人間の厚みが物語の厚み

斎藤憐さんは日本でも屈指の劇作家でした。「春、忍び難きを」においては、徹底した自然主義、構成の巧みさ、人間造形の厚さに圧倒されました。どの人物も単純でなく構成されているのですが、私が特に惹かれたのはよし江と三郎の関係と人物造形です。
2人の関係に、恋愛を感じませんでした。惚れたはれたではなく、お互いに目的を達成するためのパートナーを求めているだけのように映り、情熱的でドライな関係にみえました。けして記号的ではない、他ではちょっとみられない関係です。
三郎は持って生まれたものに反発しながらも離れられない、血に縛られている様子でした。自己矛盾を起こしていたりもするのですが、人物として性格が破綻しているわけではなく、リアリティがありました。劇作家・斉藤憐のすごさを再認識しました。

題名「春、忍び難きを」について

それからタイトルについて。「春、忍び難きを」ですが、明らかに文章の途中です。劇中で玉音放送が用いられていることもあり、「春、忍び難きを」忍び、耐え難きを耐え、までは容易に想像できますが、最後の言葉が思い浮かびません。忍んで、耐えて、春に芽吹いたものが何でしょうか? 春を目前に幕は閉まります。

いかにも新劇らしい新劇でしたが、とても面白かったです。
(井上薫さんの演技がツボにきました)

周南市民劇場は会員制の演劇鑑賞会です。次回の例会は、10月10日(火)11日(水)で、青年座の「ブンナよ、木からおりてこい」(作 水上勉)。何度も再演されている名作です。
興味のある方は、周南市民劇場事務局(0834-21-7097 火~土 10:00~19:00)までお問合せください。
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