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そして2次元は3次元になる<漫画「3月のライオン」と映画「3月のライオン」比べ、映画にすることについて考え、ぼやく>

「みんなオレのせいかよ!? じゃどーすりゃ良かったんだよっっ。ふざけんなよ。弱いのが悪いんじゃんか。弱いから負けんだよっ!」「こっちは全部賭けてんだよ」「弱いヤツには用はねーんだよっ!」(漫画「3月のライオン」2巻)
はい、というわけで、映画「3月のライオン」(前編)を鑑賞してきました。

映画「3月のライオン」公式サイト

あらすじ:17歳の桐山零は、プロの将棋の棋士。家族と離れ、東京都内の下町、六月町でひとりで暮らしている。棋士として研鑽を重ねながら、深い孤独を抱えていた。あることをきっかけに橋向いの三月町に住む川本家の3姉妹、あかり・ひなた・モモと出会う……。
地元のシネコン。公開初週でしたが、平日のモーニングだったので、空いていました。

思えば、大好きな漫画の実写を見るのは、はじめてかもしれません。漫画「3月のライオン」をきっかけに、将棋をはじめましたというくらいには影響を受けている作品です。だから、これから綴るのは、公正な評価ではなくて、原作ファンがどう見たのかという感想として捉えてくれると助かります。
ネタバレなしで書くつもりですが、おんなじように原作ファンで、見ようか見まいか悩んでいる方の判断材料、心構えとして参考になるかもしれません。

キャスティングや監督に違和感、あくまでも原作ファンとして

まず、確か、昨年末のこと、映画館でチラシを手に取って、キャスティングに唸りました。
幾人かは、なるほど、と感心しましたが、また幾人かは、違う、だろ、と。具体的には、香子(有村架純)、後藤(伊藤英明)、幸田父(豊川悦司)。香子さんはもっとするどくて、清純さのかけらもなくて、脆くないといけない。後藤はもっと重みがあって、夜の街みたいな魅力がほしい。伊藤英明さん、嫌いじゃないけど、すこし太陽のにおいがする。幸田父は、存在が違う。トヨエツだと存在感がありすぎて、悪目立ちするんじゃないだろうか。もっとほがらかな、ぼんやりとした人でいい。
だいたい監督が大友啓司というのもどうなんだ? 嫌いではない。「ハゲタカ」には衝撃を受けたし、「龍馬伝」や「るろうに剣心」も悪くなかったです。だけど、相性が悪くないだろうか。
漫画「3月のライオン」は、さまざまな人々の苦しみを柔らかなタッチで描いていて、絶妙なバランスで、心をざわりと撫でられることも多いけど、重くのしかかってくることはなくて、染み込んでくるような物語です。
大友監督は、映像の汚しというか、重みが巧みな監督さんだと思っています。「るろうに剣心」なんかが顕著だと思うんだけど、漫画の世界に現実感を吹き込むことは超一流だと思いますが、そのタッチで「3月のライオン」を描けば、重くて、苦しいだけの物語になるんじゃないだろうか。原作はモノローグも多いので、そこの処理だけでなかなか難しそうだし、絶妙に心に染んでくる感じは、再現できないんじゃないだろうか。
ただの原作ファンの戯言なんだけど、イメージを崩されるくらいなら見に行かなくてもいいかなとさえ思いました。
それでも見に行ったのは、あかりさん(倉科カナ)が気になったからです。川本家の人々は、特に漫画チックに描かれていて、あれを生身の人間が演じるのは難しいんじゃないだろうかと思いました。だけど、倉科カナさんなら、あかりさん、いける。他の人は考えられないなってくらいに思ったので、それを確かめるためにも劇場で鑑賞しようと決めました。

原作のある物語を映像化するうえで避けられないこと-取捨選択と再構成

映画「3月のライオン」(前編)は、原作漫画でいうところの1~5巻までの内容、つい先月までNHKで放映していたアニメとほぼ合致するところを扱っていました。アニメが22話×30分で11時間です。
映画はご存知の通り、だいたい2時間くらいのもの。11時間を2時間にまとめるのは、至難の業です。
以前、プロの方から教わったのですが、脚本を短くしたいとき、手っ取り早くて、確実なのは、人物を減らすことだそうです。減らして、その人物が中心になるエピソードをばっさりなくしてしまうそうです。ひとつひとつのエピソードを短く圧縮して、ダイジェストみたいになるよりはずっと面白い作品になると言っていました。
原作ファンとしては残念ですが、映画としてまとめるためには仕方のないことです。まあ、人気のある原作だと、削られた人物のファンが阿鼻叫喚だと思いますが……。
原作のある物語を映画化するには、批判を覚悟して、人物・エピソードの取捨選択をしなくてはいけません。

映画「3月のライオン」(前編)は、原作に比べて、川本家の人々のエピソードが少なくなっています。某ハンバーガーショップでの「ヤバイ。何だコレ。すっごい嬉しい」とかありませんし、というか高橋くん出てきません(後編に期待?)。ニャー将棋も出てこないし、二階堂との対局シーンあったっけ? その分、香子と後藤、幸田父のエピソードの割合が原作より高いように感じました。アレ? この三人にはなにか思い当たることが……。そうです、キャスティングをみて、いまいち違うんじゃないかと思った3人と見事に被っています。

映画「3月のライオン」で選ばれたもの、捨てられたもの

漫画「3月のライオン」を映画用に再構成するにあたって、選ばれたのは香子さんでした。すくなくとも私はそう感じました。映画「3月のライオン」は、零くんの物語であると同時に、香子さんの物語になっています。香子さんの物語がどういった物語なのか、ここでそれを語るのはネタバレになるので避けますが、前述のように川村3姉妹のエピソードがごっそり削られている中で、香子さんのエピソードは原作にないものがありました。
原作を補足するものではなくて、香子さんを観客の視点足り得る、観客が共感できる普通の女の子として描くために加筆されているように感じました。
11―2=9時間分もエピソードを削らないといけないなかで、加筆してもらえるなんて、制作者はよほど香子さんの物語を気に入ったんだろうなぁと思います。作家性というか、漫画とは違う、映画「3月のライオン」を目指した結果なのかもしれませんし、商業的に成功しやすいテーマだという打算があったのかもしれませんが。
漫画の香子さんは、妖しい人です。いつも唐突で、何考えてるか分からないところがあって、それが彼女の魅力の一つなんですが、観客の視点足り得るにはちょっとまずい。何考えてるか分からない人には共感できません。だから、エピソードを加えて、自分に×をつけた存在への苦しみが、私たちに共感できるかたちで伝わってきました。
キャスティングをみたとき、イメージと違うなぁと思ったのはとうぜんのことです。だって、漫画とは、担っている役割が違うんだから。原作通りの役割・人物像なら、有村架純さんよりももっと妖しい魅力のある、人間っぽくない方のほうが適任だと思います。でも映画「3月のライオン」の香子さんは有村架純さんのような、どこか普通の女の子っぽさのある方でないといけない。適役だったと思います。
同様に後藤は、漫画では敵役なのですが、インモラルヒーローというか、人間離れしているんですが、伊藤英明さんが演じることで、生身の人間になっていました。原作では世間的な建前に見えたエピソードが、映画では人間的な弱さが露呈しているシーンにみえて、後藤も悩み、苦しんでいるんだと感じることができました。原作通りに演じられる役者さんはいると思いますが、はたして意味はあるでしょうか。絶対的に超人間的な存在が別にいますので、限られた時間のなかで、その人物を際立たせるためにも、現実的な人物として落とし込むためには伊藤さんが演じることが必頭だったと好意的に捉えたいと思います。
そして、幸田父。これは本当に限られた時間で分かりやすく伝えるための工夫というか、妥協のように感じました。原作で描かれている穏やかな人物ではなく、いうなれば星一徹系のステロタイプな父親。穏やかなんだけど、厳しい一面もあって、たった一面なんだけど、それは絶対的な一面であって……と描けば、人物に厚みが生まれますが、その分だけ時間がかかります。よけいな説明を省いて、一目見ただけで理解させるには、ステロタイプで描くことはとても有効だと思います。
キャスティングをみて違和感を覚えたところは、すべて、原作漫画を映画に再構成するにあたって変えてきているところでした。さすが、プロの仕事。原<作ファンとしては納得できないところもありますが、物語をまとめるには仕方のないところだと思います。

それでも気になる原作との違い

原作ファンとして、許せないというか、どうなんだろうと感じるところはたくさんあって、エピソードの順番がけっこう変わっています。原作で印象的なシーンは、台詞はほとんどそのまま再現されているのに、そこに至るまでの流れが違うから、台詞は同じなのに意味が、指している人物や事柄が違ったりして、すごく違和感でした。たとえば零くんが川本家と出会うエピソードのきっかけ、そこまでの流れが異なっていて、ここの改変はわりと本気で許せなかったです。香子が家を出ようとするところも、盛り上がりのところは原作通りなんだけど、きっかけがより直接的な親との言い争いになっていて、ほーん、そうしたんだという程度だけど、違和感。そういえば、原作だと川本3姉妹と出会ってしばらく経ってからの日のことなのに、映画だと初めて出会ったその日のことになってて、ちょっと、ひなちゃんの行動がアホの子にしか見えなくて、さすがに可哀そうだと思いました。あと山崎さんが、ピッコロ大魔王みたいで悪役感が半端なく、過剰に装飾されたセットも含めて、盛り上がりとしては必要なのは分かるけど、映像的なカタルシスだなぁとちょっと呆 れた。

ちなみに監督が大友啓司さんなのは適任だろうかという不安は、わりと的中していて、原作のシリアスな物語と柔らかなタッチの絶妙なバランス、染み込んでくるような良さはありませんでした。やっぱりね、あれはね、漫画独特の語り口だからね。
原作のいかにも漫画チックなところ、実写化は苦労するだろうなというところは、うまく処理されていました。直接描くことを回避していたり、見事、現実感をもって描かれていたり。下町の古家の川本家の再現度は高く、原作ファンとしては嬉しかったな。

けっきょくのところ、映画としては、たぶん、質は悪くないんだと思います。けちつけてるところも、どれも原作を何度も読み返しているからこその違和感で、原作に思い入れのない人にとっては気にならない箇所だと思います。

安井さんと対局後の零くんの心中吐露には「ああ、そうか、彼も、世界に×をつけないために自分に×をつけていたのか」と胸を打つものがありました。あのシーンだけでも、映画「3月のライオン」を見る価値は十分にあります。
ところで予告を見る限り、後編では「詐欺師と自覚していない詐欺師」と「ひなちゃんの学校生活」あたりがメインになるようだ。でもどちらも川本3姉妹を中心としたものだから、前編でカットしたエピソードがないと、積み重ねが足りなくて、物語に引き込むことができないんじゃないだろうか? 前編では描かないことで、監督と川本3姉妹の相性の悪さを克服したけど、次はそうはいきそうにない。そのあたりどうやるんだろう? きっと、後編も見に 行くと思います。

本当はもっと物語そのものについて綴りたかったのですが、思いのほか、漫画を原作に実写映画を撮ることに話題が終始してしまいました。
映画も後編を残していますし、原作漫画もまだ完結していませんし、「3月のライオン」という物語そのものについて綴るのは、またの機会にしたいと思います。

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