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交わりながらも共存は選ばない-映画「借り暮らしのアリエッティ」の場合

「借り暮らしのアリエッティ」を見ました。ええ、金曜ロードショーです。

公開当時は、藤原達也が出演しているということで、声優・藤原達也を期待して観て、なんだ、わりとちょい役じゃん! となった記憶が強く、物語そのものを丁寧に鑑賞した記憶がありません。(すみません、、、)このたび改めて物語を味わって、なかなか秀でた作品だなと感じました。

「借り暮らしのアリエッティ」
監督:米林広昌
脚本:宮崎駿 丹羽圭子
原作:床下の小人たち(作:メアリー・ノートン 原題:The Borrowers)
あらすじ:小人の少女・アリエッティ(CV・志田未来)は、両親と3人で人間に見られてはいけないという掟の下、ある屋敷の床下で角砂糖などをこっそりと「借り」て、暮らしていた。あるとき、屋敷に人間の少年・翔(CV・神木隆之介)がやってくる。その夜、初めての「借り」に出かけたアリエッティだが、その姿の翔に見られてしまう……

興行収入でいうと、ジブリ歴代6位、4位「崖の上のポニョ」、5位「風立ちぬ」に次ぐ、好順位で、非宮崎駿監督作品では堂々の1位です。興行成績が映画の評価と一致するわけではありませんが、参考までに。

未知との遭遇と帰還

物語には形式というか、手法のようなものがあって、「借り暮らしのアリエッティ」は「未知との遭遇と帰還」の亜種といえます。
「未知との遭遇と帰還」とは、その名前の通りで、未知の世界(あるいは生物や文明等)と遭遇して、さまざまな経験を経て、未知からの帰還、別れて既知の世界に戻るという形式のことです。わりとジュブナイルで見られる形式ですね。よくあるパターンとしては、いじめられっ子の少年が、剣の魔法の世界に迷い込んで、その世界の勇者に憧れて、勇気を貰って、もとの世界に戻ってから、いじめっ子に立ち向かう、みたいな感じでしょうか。夢落ちも、これに分類されます。

「借り暮らしのアリエッティ」の秀でているところは、王道でありながら、視点を逆に持ってくることで新しい物語として見せること成功しているところにあります。

「借り暮らしのアリエッティ」において、主人公はアリエッティです。翔くんの視点から語られる場面の多数ありますが、彼はヒロイン(?)です。
しかし、アリエッティにとって、観客にとって未知の世界であるはずの小人が暮らす世界は、日常です。物語の開始時点が、アリエッティが初「借り」に出かける日と節目にはなっていますが、日常であることに変わりはありません。

では、誰にとって小人が暮らす世界が、未知となり得るでしょうか? そうです、翔くんをはじめとした人間たちです。
「未知との遭遇と帰還」という形式を古典的に適用したなら、人間である翔くんが、小人たちの暮らす未知の世界に紛れ込むとなります。
しかし、映画「借り暮らしのアリエッティ」では、小人であるアリエッティが、観客にとって未知の世界である小人たちで暮らしているところに、人間である翔くんが紛れ込んでくる、となっています。

「未知との遭遇と帰還」は、古くから使われている物語の手法です。いまに至るまで使われ続けているということは、それだけ優れたところがあるということです。
その優れたところをうまく利用しながら、「紛れ込む-紛れ込まれる」の視点を逆にすることで、古典的手法に新鮮さを持ち込んだ「借り暮らしのアリエッティ」の構造は見事といえるでしょう。

しかし、地味な物語

構造的に見事でありながら、「借り暮らしのアリエッティ」は、世間的にあまり評価が高くないようです。小人の世界の作り込まれ方や草原の描写などは評価されているようですが、ドキドキ、ワクワクのエンターテイメント性が欠けているという声が目立ちます。
なぜでしょうか? 大きく2つの理由があると私は考えます。

①緊迫感がない
アリエッティたちは、翔に姿を見られてしまったことで、暮らし慣れた屋敷の床下を離れることを迫られます。人間に姿を見られてはいけないという掟があり、人間に存在を気付かれてしまえば自分たちに危険が迫るかもしれないという考えからです。
しかし、観客は知っています。翔くんは温厚な人柄であり、また小人のことを家族に秘密にするだけの分別もあります。翔くんが小人たちに嫌悪感を抱き、駆除しようとしているのなら、間に合うか間に合わないかのドキドキが生まれるかもしれませんが。アリエッティの両親は、焦って引っ越しを進めていますが、そんな必要がないことを観客は知っているのです。

②悪役が緩い
第一発見者である翔くんが小人たちに友好的な代わりに、家政婦のハルさん(CV・樹木希林)が小人たちに嫌悪感をいただきます。しかし前半は、小人の存在に確信が持てず、翔に疑いの眼差しを向けるだけ。観客たちにハラハラを与えるだけの存在になっていません。
そして後半、ついに小人を見つけるのですが、捕まえて……、捕まえるだけです。(これで殺したりしていたらまったく違ったのでしょうが……。それは世界観的にアウトな気がします)
例えば、ハルさんが、屋敷の財産をかすめ取ろうとたくらんでいて、その証拠を小人に見られてしまったから、小人の駆除を急いでいる……とかならエンタメ性は増すでしょうか? しかし、これも世界観的にアウトな気がします。

いろいろと書きましたが、「借り暮らしのアリエッティ」という作品は、あれでよかったのだと思っています。多くの方が指摘しているとおり、エンタメ性が低いのは事実だと思います。しかし「借り暮らしのアリエッティ」の見所は、どきどきはらはらのエンタメではありません。小人の少女がと異世界に暮らす人間の少年が出会い、別れる物語です。

そして物語は別離で終わる

アリエッティには小人に寛容な少年の庇護のもと、共存するという選択肢もあったと思います。
でも、それは、「借り」暮らしをする小人たちにとって、文化上での滅亡を意味します。先祖から脈々と受け継がれてきた、「人間に見られてはいけないという掟」と「借りて暮らすこと」を失ってしまうのです。
人間を軽蔑する小人の少女が、少年と心を通わせ、しかし共存ではなく、自分たちの生き方を、劇中では「滅びゆく種族」と評されたりする自分たちの生き方を選択します。
その決断と別離が、この物語の魅力だとわたしは思います。

最後にタイトルの秀逸さ

さて、余談になりますが、私は「借り暮らしのアリエッティ」というタイトルはなかなか秀逸だなと思っています。単純に「借り」と「狩り」がかかっているからなんですが。
ちなみに原作の原題は「The Borrowers」。直訳すると「借りるものたち」といったところでしょうか。狩りは「Hunt」ですので、原題は「借り」と「狩り」のかかりはなかったようです。映画の海外公開時タイトルも「The Borrower Arrietty」「The Secret World of Arrietty」です。
「借りって楽しいね」の楽しさは、きっと、日本語版でしか分からないのでしょう。

ちなみに米林広昌監督の新作「メアリと魔女の花」が7月8日(土)から公開です。昨日ですね。……来週だと思っていました。見に行かなくては。
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