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カテゴリー「映画・演劇」の記事一覧

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演劇の歴史とか-明治維新から新劇の起こりまで

ここ最近、現代演劇の歴史について調べる機会がありました。
学んだことを整理するためにも、ちょっとまとめてみようと思います。
細かく資料にはあたったつもりですが、私の目的は全体の流れを把握することでした。人物などには触れておりませんので、あくまで流れを把握する程度にご活用ください。

現代演劇の起こり
ここでいう現代演劇とは、明治以降の演劇です。
明治維新によって文明開化が起こりました。技術や化学だけでなく文化の輸入もおおっぴらになったのです。
演劇に先駆けて、まずは文学、小説に新しい動きが起こりました。「言文一致運動」です。

それまでの文学は書き言葉で書かれていました。
「此の如く御座候」とかああいうやつです。同じ意味を話し言葉で伝えるときには「このようでございます」になります。
書き言葉と話し言葉の間に隔たりがあり、書き言葉を自在にできるのは一部教養人のみだったとされています。寺子屋の普及など、日本は江戸時代から識字率が高かったとされていますが、最低限読み書きができただけのこと。教養ある文章を誰もが自由に読み書きできたわけではありませんでした。

さて、文明開化により西洋の文学に触れ、より多くの人が読むことのできる文学を目指す運動=「言文一致運動」は始まります。坪内逍遥をきっかけとし、二葉亭四迷(浮雲)や尾崎紅葉(金色夜叉)で一定の成果をみせ、夏目漱石で完成したと言われています。だいたい1880年代後半からの出来事です。

そんな文学の運動に遅れまいと旧来の演劇を発展させる形ではじまったのが「新派演劇(書生芝居)」とされています。

新派演劇(書生芝居)とは?
旧来の演劇ではない、新しい演劇という意味で、新派演劇。書生が中心となっている上演団体も多かったため、書生芝居とも呼ばれます。
旧来の演劇とは、主に歌舞伎を指しているそうです。
演劇として歌舞伎を見た際、特徴は大きく2つあります。
①型があること
②白塗り隈取りなどカリカチュアされた表現法をとること
ちなみに歌舞伎の台詞は江戸の時代から口語でした。いまでこそ古語なので理解しづらいですが、当時は言葉自体は庶民の使っているものと同じだったようです。(抑揚のカリカチュアはあるにしても)

そんな歌舞伎と、西洋文化の影響を受けた文学の相の子として生まれたのが「新派演劇」です。ポイントは、西洋の演劇を輸入したのではなく、影響を受けつつも、もともと日本にあった演劇を発展させたこと。手法のうえでは歌舞伎と大きな違いはなかったと言われています。
あえて違いを述べるなら、
①女形ではなく女優が活躍したこと
②江戸以前ではなく、明治維新後の現代日本人の精神、生活、価値観を描いたこと
くらいでしょうか。
当時の主な上演作品としては尾崎紅葉の「金色夜叉」や泉鏡花「婦系図」等。「言文一致運動」に組している作家です。(泉鏡花は雅俗折衷もありますが、、、)

新派演劇は、のちに記述する新劇の台頭により衰退していきますが、現代でも新派演劇を上演する「劇団新派」は活動しています。歌舞伎と近いところで独自の世界を展開しているそうですが、あいにく私は新派演劇の観劇経験はなく語ることができません。あしからず。

新劇のはじまり
さて、文学に遅れること明治末期(1910年ごろ)、西洋の影響を強く受けた近代演劇を目指す活動が活発になります。新劇のはじまりです。
新派のようにもともと日本にあるものを発展させるのではなく、西洋の演技論、演出論を輸入しました。それは、これまでの日本にはない、斬新なものでした。

①感情を中心とした演技方法
②メイクをはじめ、生活者と大きく変わらないリアリズムでもって表現される

上演作品はシェイクスピアなど翻訳物が主流でした。歌舞伎や新派演劇を商業主義と批判し、自らを芸術的志向の演劇を目指しているとしていたそうです。(実際、新派演劇では世俗を描いたものが多く、悪くいえば下世話な物語も多かったようです)
その後、プロレタリア運動と連動し、オリジナル作品を上演するようになり、大いに発展していきます。文学座や俳優座など、いまに残る老舗の劇団の創立もこの頃です。
しかしプロレタリアと結びついた影響として、国家から弾圧を受け、多くの劇団が活動休止を余儀なくされました。反国家的な活動をしていた劇団だけではなく、検閲により自由な表現ができず、ならばいっそと活動を休止させた劇団もあったようです。
プロレタリア運動、いわば演劇の左翼化については様々意見があると思いますので深くは語りませんが、新劇がオリジナルの戯曲を上演するきっかけとなったのは大きな成果といえると思います。

そして、1945年に終戦を迎えました。活動を休止していた多くの文化・芸術活動が盛んとなります。
戦争による中断は演劇にとっては大きな転換期とはなりませんでした。戦後も、戦前と変わりなく、西洋演劇の影響を強く受けた新劇が主流でした。新劇系の劇団がプロレタリア活動をしたことはあっても、新劇の手法そのものに政治的主義主張が含まれていなかったからでしょう。

新劇の影響はいまに続く
1910年代の西洋演劇の輸入からはじまった新劇は約100年経った現在でも演劇界の中心に位置しています。多くの人は、演技をするということは、役の感情を表現することと思っているのではないでしょうか? それは新劇的な考え方です。はじまってからもう100年近く経つのに、多くの人がこんなふうに考えているなんて、新劇の影響はいまに続いています。
しかし、その表現手法について反発がなかったわけではありません。
次回は、1970年代に起こったアングラ演劇ブームから近年の演劇の状況についてまとめてみます。
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テアトル・エコーは喜劇として演じる-「おかしな二人」を市民劇場にて鑑賞

周南市民劇場で、「おかしな二人」(テアトル・エコー)を観劇してきました。

おかしな二人
作/ニール・サイモン 翻訳・演出/酒井洋子

あらすじ:妻と離婚して子どもと離れて暮らしているオスカー(安原義人)は部屋は散らかり放題の悠々自適、自堕落な生活を送っていた。ある夜、いつものように仲間たちとポーカーをしているとフィリックス(根本泰彦)が遅れてやってきた。普段は周囲を息苦しくさせるほどに細やかな性格をしているフィリックスだが、その夜はある事情を抱えていた……。
オスカーとフィリックス、真逆の性格をした二人だが、その夜をきっかけに奇妙な共同生活を始めることになる……。

テアトル・エコーという劇団

テアトル・エコーは、主に翻訳物の喜劇を上演するほか、かつては井上ひさしが書き下ろしていたこともあり、オリジナルものを上演することもあります。

「おかしな二人」を、端的にまとめますと、”離婚の憂き目にあいながらも、まだそれをうまく処理できない男が、疑似的な結婚生活を通して、ちゃんと離婚する”物語です。結婚もして子どももいる大人の成長の物語です。
現代社会において離婚はそう珍しいことではなくて、幸いにも私は体験していませんが、人生を大きく変えてしまうものだということはたやすく想像できます。
多くの人に起こり得る、ありふれた大事件として、そういった切り口で描くこともできる戯曲ですが、そのような演出にはなっていませんでした。あくまでも、コメディーとして上演されていました。

それはけして悪いことではありません。劇団の色の問題です。テアトル・エコーが翻訳物を上演するときは徹底的に喜劇として上演する。そうスタンスの劇団なんだろうなと思いました。好感をもって受け止めました。

また今回の上演の特徴として、演出家が権力をふるっている舞台ではなくて、個々の役者のサービス精神で成り立っている作品だなと感じました。もちろん、立ち位置が汚かったり、シーンの方向性に不一致を感じたり、演出が機能していない印象はみじんもありませんでしたが、演出が巧みだなと思うこともなく、役者さんが素敵だなと思うことばかりでした。
これも劇団の色だと思います。特にオスカー役の安原義人さんは、長台詞も多かったのですが、一度として飽きることはなく、むしろ長台詞が楽しかったです。プロなら当然のようですが、当然のことを当然のようにできるのが本当のプロです。例えば皮肉で真逆の喋り方をしていたり、しゃべりながら感情が変わっていったり、自分が演じるときに真似したいと思うことがたくさんありました。

なかなか満足だった今回の周南市民劇場。次回例会は、7月24日(月)、25日(火)の「春、忍び難きを」(劇団俳優座)です。日本劇作家協会の旗揚げに携わり、他の劇作家さんから“劇作技術のみの話をすれば、多分、日本で一番の劇作家”斉藤憐さんの作品。“終戦まもなくの農村部を舞台に、そこで暮らす人々、特に女性たちの物語”だそうです。

周南市民劇場は、会員制の演劇鑑賞会です。興味のある方は、まず事務局(0834-21-7097 火~土 10:00~19:00)までご連絡ください。

今は過去の延長線にある-映画「マイマイ新子と千年の魔法」

2009年の作品ですが、「この世界の片隅に」(監督・片淵須直)のヒットを受けて、リバイバル上映をしていました。山口県出身の作家・髙樹のぶ子の自伝的小説を原作としたアニメーション映画です。

「マイマイ新子と千年の魔法」(監督・片淵須直)
あらすじ︰山口県防府市・国衙に住む小学三年生の少女・新子は、祖父から聞かされた千年前の、平安時代のこの町やそこに暮らす人々の姿にいきいきと想像を巡らせていた。
あるとき、東京から貴伊子が転校してくる。最初こそ田舎の暮らしに馴染めない貴伊子だが、まず新子と仲良くなり、いっしょに想像を巡らせるようになる

幼い頃に見ておきたかった一作

もっと有名になってもいい作品だと思いました。子どもも楽しめるし、大人になって観れば、別の角度から楽しめると思います。むしろ子どものころに一度観ておいて、ある程度年を食ってからもう一度鑑賞して、感想の違いを楽しむことでより深く物語を味わえるだろうなと感じました。まあ、2009年制作の時点で、私の場合、幼い頃に鑑賞のしようがないのですが、、、まるでトトロのようだなと思いました。
しかし、ジブリの諸作品とは一線を画しています。良し悪しではなくて、最大の違いは、リアリティレベル。簡単に言うと、ジブリの世界は高いところから落ちても足が痺れるだけで済みますが、「マイマイ新子と千年の魔法」の世界では死ぬか大怪我すると思います。各所の演出からアニメーションである必要はありますが、比較的現実に則しています。

大人の考えてることなんて分からなかったし、いまだによく分からない

本作は大人の描かれ方が特徴的です。新子や貴伊子=子どもの視点から物語は紡がれていますので、大人たちはいつも断片的にしか描かれていません。人生背景や抱えている過去は、なんとなく匂ってきますが、明確には読み取れません。(タツヨシの父親とカルフォルニアの面々の繋がりなど顕著だと思います。)そこが良い。新子が千年前を想像したように、観客も大人たちの歩んできた出来事に想像を働かせたくなると思います。

千年の昔に想像を寄せることを題材としているだけあって、一貫して過去を想うこと、肯定的に受け入れることが描かれています。
友人の父親の死という現実を突きつけられて、「千年の魔法の意味なんてない」と否定しますが、ちょっとした出会いと奇跡を得て、再び千年の前を思うくだりなど、そのテーマをより強調させています。

大人の考えていることなんて分からなかったし、いまだによく分からないし、だけど大人にはこれまで歩んできた道があって、それがどんなものであってもその人を作る部品になってるわけで、つまりは過去を思うってそういうことなのかなと思いました。

以下、記録-「マイマイ新子と千年の魔法」と「この世界の片隅に」の関係

さて、私が鑑賞した会は片淵監督による舞台挨拶付きでした。そこで「マイマイ新子と千年の魔法」と「この世界の片隅に」の関係について言及されていましたので、記録がてら記します。正確な記録ではなく、私の記憶のまま、主観によって歪められていますが、ご容赦ください。

「マイマイ新子と千年の魔法」は、戦後、昭和三十年代の物語です。
劇中で、新子の母親は、既婚者であることを隠して写真コンクールに応募したというエピソードが語られ、いつまでも娘気分の抜けない、どこかトボけた人として描かれています。実際に髙木のぶ子さんの母親はそんな人だったそうです。
また計算の上では新子の母が新子を身籠っているのは戦争の真っ只中のことになります。実際、髙樹のぶ子さんの母親は東北(だったかな?)で終戦を迎え、身重のまま、遠路はるばる山口県に帰り、のぶ子さんを産んだそうです。
このエピソードと人柄が、戦争中にこんな人がいたんだと感慨を抱かせ、戦時下の人々の生活に想いを寄せさせ、片淵監督の中にぼんやりと形になったそうです。そして漫画「この世界の片隅に」に出会い、はっきりとした形になり、映画「この世界の片隅に」のすずさんになります。
そうです、「マイマイ新子と千年の魔法」に登場する新子の母親をより深めていったさきに「この世界の片隅に」のすずさんがいるのです。

私、居場所を見つけたよ-映画「この世界の片隅に」

周南「絆」映画祭に来場して、「この世界の片隅に」を鑑賞していきました。

映画「この世界の片隅に」(監督:片瀬須直)
あらすじ:広島市江波の海苔梳きの家で育ったすず(CV:のん)は、絵が得意だった。18歳になり、すずは江波から遠く離れた呉に嫁いだ。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。すずの日常とは裏腹に、やがて戦争は激しくなっていき、軍港のある呉も空襲の標的となる……

とても素晴らしい映画でした。ひとりでも多くの人に見てもらいたい。“今までにないタイプの戦争映画”と大槻ケンヂが評していましたが、まったくそのとおりです。世の中にある多くの戦争映画は「戦争は残酷なものだ、悪いことだ」って誰でも知っている当たり前のことを見せつけてきます。悲惨な映像に顔をしかめながら、こんなのさんざん学校で習っている、小学生のときにいった広島の原爆資料館とかで見ている、いまさら映画に教えてもらうまでもないと思ったりもします。
「この世界の片隅に」では、戦争はあくまでも物語の背景に過ぎません。その時代を生きていた人の日常を描いていています。
物語はすずの視点から描かれています。すずは、ぼんやりとした女性です。ふわふわと浮遊していて、世間の変化にはあんまり影響されずに懸命に毎日を送っています。
そのことが戦争によって変わってしまったこと、それでも変わらないことを浮き彫りにします。どんな時代であっても、人間は笑ったり悩んだりしながら生きているし、家族を作る。「この世界の片隅に」は戦争を題材にしていますが、反戦映画ではなくて、戦時下でも変わらない、普遍的な「人間賛歌」を描いた映画だと感じました。

声優・のんについて

のん(本名・能年玲奈)の演技が、絶賛されていますが、果たしてどうでしょうか。
けして演技はうまくないと感じました。声優の演技の基礎にして、なかなか難しいところとして、距離感があげられます。俳優なら実際に目の前にいる人に、本当の距離感をもって演技すればいいのですが、声優の場合、絵をみて、距離を立体的に想像して、声に距離感をのせて演技しないといけません。のんの場合、距離感の表現がうまくいっていない箇所が多数みられました。でも、そんなことは些細なことだと言えるくらいに役にはまっていました。はまり役というだけじゃなくて、好演技でした。空間を正確に伝えることよりも、世界観を豊かに表現することに重きを置いていたのでしょう。それは間違いなく成功していました。
「あまちゃん」のときの思ったのですが、のんの演技はけして上手いわけじゃありません。でも唯一無二の存在感をもっていて、彼女にしかできない役がまだまだたくさんあるはずです。これからの活躍が期待できる役者さんです。

作品名は「この世界の片隅に」

最後になりましたがタイトルについて。「この世界の片隅に」。書きかけの文章のようで、続きを想像させます。「片隅に」何があるというのでしょうか。
きっと観客の数だけ答えがあるのでしょうが、けしてネガティブな言葉が続くことはないでしょう。

少年はいずれ何者かになる-映画「3月のライオン」後編は得たものを抱きしめる物語

そう何度でも 何度でも
君は生まれ変わって行ける
そしていつか捨ててきた夢の続きを
ノートには 消し去れはしない
昨日がページを汚してても
まだ描き続けたい未来がある
「蘇生」(Mr.Children)

映画「3月のライオン(後編)」を鑑賞してきました。
前編についてはこちらから。(感想というより原作あり映画の難しさをぼやいてるような内容ですが)
前編が原作再現7:オリジナル要素3くらいだとしたら、後編は原作再現3:オリジナル要素3でした。
映画として見所はありますが、原作ファンにはあまりオススメできない作品です。もちろん、原作どおりじゃなくても面白ければそれでいいじゃんって思えるならいいんですが……。

映画「三月のライオン(後編)」
あらすじ:17歳の将棋棋士・桐山零は、川本家の3姉妹や担任の林田との交流を得て、孤独から浮上していた。記念戦ではあるが、名人・宗谷冬司との対局も決まり、順風満帆だった。あるとき、零が川本家を訪れていると、次女・ひなたが帰ってきて……

漫画を実写に落とし込む

前編を見ていると、序盤の素直に感情を発露している零くんに、まるで親のような感情を抱きます。うまくやれてるみたいじゃないか、良かった。物語をまとめるための取捨選択で削られてしまったところはたくさんあって、原作との違いはどうしても気になりますが、高橋くん出て来ないし、将科部もなし、でも、うまくまとめたなぁといった印象でした。

誠二郎(伊勢谷友介)が中心となって巻き起こされる騒動は、原作では漫画的に処理されていたところが、そのままではなく、実写の映像として成立するようにうまく改変されていました。漫画を実写に落とし込む腕前は、さすがの大友啓司監督だと感心しました。

前編に続き、原作の取捨選択も桐山零くんの成長と、その血縁の家族模様に絞られていました。川本家の人々が零くんの成長、絶望の材料でしかなくなっているのは残念でしたが、限られた時間のなかではが仕方のないことかと思います。
零くんの成長は、等身大の少年のものとして描かれていて、誰もが身に覚えがあるようなものでした。14歳でプロ棋士になり、未来は名人と期待されながらも、あくまでも普通の少年。予告編で意味ありげに“宗谷名人の秘密とは”と煽られていますが、それもどんなに人間を超越したようにみえる名人、将棋の国の神様の子どもであっても普通の人間なんだぞというエピソードと相まっています。

未完に完をつける

物語はすべて、見事に完結します。原作は絶賛連載中なので、まだ描かれていないところを勝手に決着つけているようなところもあって、原作ファンとしては不満を感じてしまいますが、映画としてまとめるには仕方のないことだと思います。
きれいにまとまってますが、零くんが勝ちすぎとか、後藤と香子の関係の着地点など、賛否両論があると思います。

ところでエンドクレジットのときに、タイトルが表示されます。「3月のライオン March goes out like a lion」って。他のときは、「March comes in like a lion」なのに、最後だけ、「goes out」。映画全編を通して、ライオンがやってきて、去って行ったということでしょう。
ちなみに「3月のライオン」というタイトルは1992年の映画「三月のライオン」に由来していて、もともとはイギリスの天気に関する諺「March comes in like a lion and goes out like a lamb」からの引用だそうです。

それから、映画を見ながら、将棋という競技はあんがい物語との相性がいいんじゃないかなと思いました。それについては、次回以降の更新で。


山口県周南市や下松市の文系ねっとわーくを構築すべき活動中! ここでは演劇や映画、小説の感想、近隣の文系イベント情報を紹介します。

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