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少年はいずれ何者かになる-映画「3月のライオン」後編は得たものを抱きしめる物語

そう何度でも 何度でも
君は生まれ変わって行ける
そしていつか捨ててきた夢の続きを
ノートには 消し去れはしない
昨日がページを汚してても
まだ描き続けたい未来がある
「蘇生」(Mr.Children)

映画「3月のライオン(後編)」を鑑賞してきました。
前編についてはこちらから。(感想というより原作あり映画の難しさをぼやいてるような内容ですが)
前編が原作再現7:オリジナル要素3くらいだとしたら、後編は原作再現3:オリジナル要素3でした。
映画として見所はありますが、原作ファンにはあまりオススメできない作品です。もちろん、原作どおりじゃなくても面白ければそれでいいじゃんって思えるならいいんですが……。

映画「三月のライオン(後編)」
あらすじ:17歳の将棋棋士・桐山零は、川本家の3姉妹や担任の林田との交流を得て、孤独から浮上していた。記念戦ではあるが、名人・宗谷冬司との対局も決まり、順風満帆だった。あるとき、零が川本家を訪れていると、次女・ひなたが帰ってきて……

漫画を実写に落とし込む

前編を見ていると、序盤の素直に感情を発露している零くんに、まるで親のような感情を抱きます。うまくやれてるみたいじゃないか、良かった。物語をまとめるための取捨選択で削られてしまったところはたくさんあって、原作との違いはどうしても気になりますが、高橋くん出て来ないし、将科部もなし、でも、うまくまとめたなぁといった印象でした。

誠二郎(伊勢谷友介)が中心となって巻き起こされる騒動は、原作では漫画的に処理されていたところが、そのままではなく、実写の映像として成立するようにうまく改変されていました。漫画を実写に落とし込む腕前は、さすがの大友啓司監督だと感心しました。

前編に続き、原作の取捨選択も桐山零くんの成長と、その血縁の家族模様に絞られていました。川本家の人々が零くんの成長、絶望の材料でしかなくなっているのは残念でしたが、限られた時間のなかではが仕方のないことかと思います。
零くんの成長は、等身大の少年のものとして描かれていて、誰もが身に覚えがあるようなものでした。14歳でプロ棋士になり、未来は名人と期待されながらも、あくまでも普通の少年。予告編で意味ありげに“宗谷名人の秘密とは”と煽られていますが、それもどんなに人間を超越したようにみえる名人、将棋の国の神様の子どもであっても普通の人間なんだぞというエピソードと相まっています。

未完に完をつける

物語はすべて、見事に完結します。原作は絶賛連載中なので、まだ描かれていないところを勝手に決着つけているようなところもあって、原作ファンとしては不満を感じてしまいますが、映画としてまとめるには仕方のないことだと思います。
きれいにまとまってますが、零くんが勝ちすぎとか、後藤と香子の関係の着地点など、賛否両論があると思います。

ところでエンドクレジットのときに、タイトルが表示されます。「3月のライオン March goes out like a lion」って。他のときは、「March comes in like a lion」なのに、最後だけ、「goes out」。映画全編を通して、ライオンがやってきて、去って行ったということでしょう。
ちなみに「3月のライオン」というタイトルは1992年の映画「三月のライオン」に由来していて、もともとはイギリスの天気に関する諺「March comes in like a lion and goes out like a lamb」からの引用だそうです。

それから、映画を見ながら、将棋という競技はあんがい物語との相性がいいんじゃないかなと思いました。それについては、次回以降の更新で。


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はじまりがゆっくりとしていていいのか

劇団の新人公演も終わり、ひと落ち着き。お休みの日に、録り貯めていた春の新ドラマを見ることにしました。続けてみていると、あれ? と思うことがありました。
ふーむとうなっていると、彼方が帰ってきました。
「ただいま」
「おかえり」
「どうしたのいつもどおり、こむづかしいこと考えてるような顔をしてるね」
「うん、こむづかしいことを考えてるの」
私は彼方に今日していたことを説明しました。といっても、録り貯めた新ドラマをだらだらと観ていただけですが。
「どれが面白そうだった?」
「それが、よく分からないの」
「どういうこと?」
「起承転結がしっかりしてるんだ」
私は、ドラマを見ながら考えたことを、丁寧に言葉として紡ぎました。

そもそも起承転結とは?

ドラマの基本は起承転結とされています。
気軽に使ってしまうけど、ちゃんと活用しようと検討をはじめるととても奥が深い言葉です。調べてみると、もともとは漢詩の絶句の構成を表す言葉だったそうです。それがいまでは物語の構成を表す言葉になっています。
Wikipediaでまとめられている、脚本家・小国英雄さんの解釈が分かりやすいと思ったので、引用させてもらいます。
起: 主人公の置かれている状態、劇の説明
承: 主人公の置かれている状態にある事件が起こり、これから段々劇が展開して行く過程
転: 一つの劇のヤマ場で結果に赴く為の転化
結: 承、即ち事件とそれによって起こった転化によって出された結果
起はあくまで設定の説明に過ぎず、事件が起こるのは承とされています。
Wikipediaを読み進めると、”批判”の項目がありました。
要約すると
①論文など説明を趣旨とした文章の構成には向かない。
②それぞれの配分が等分だと、起(設定)が間延びして退屈なものとなる。
の2点からなっていて、起承転結が物語の構成として、致命的な欠点を持っているという批判ではありません。
しかし②の批判は的を射ていています。
特にコミュニケーションが高速化した現代において、物語の展開も高速化しました。設定を丁寧に説明していては間延びする、読者が退屈を感じるという考えが主流となっていました。そこでどんな対策が取られてきたのか、具体的な例でもって説明します。よくあるミステリー、館ものだと構成は次のような形になります。

起:主人公たちが館にやってくる。人間関係が説明される。
承:殺人事件が発生する。密室殺人など、犯人が分からない。
転:探偵役が密室のトリックを見破る。
結:トリックが説明され、犯人が判明する。

よくある感じです。本当はもうちょっと複雑なのですが、分かりやすくするとこんな感じでしょうか。しかし物語の高速化した現代では、次のような構成になります。

承(起):物語のはじまりと同時に殺人事件が発生する。捜査しながら人間関係を説明する。
転:探偵役が密室のトリックを見破る。
結:トリックが説明され、犯人が判明する。

起と承が一行に収まりました。現代では、起と承が同時に行ったり、あるいは先に承(事件を発生)をもってきて、読者が退屈と思う間を奪うようにしています。

現代のドラマは高速化したのではなかったのか?

「じゃあ、起承転結がしっかりしてたってことは、退屈を感じた」
「まさにその通り。全部がぜんぶってわけじゃないけど、今期は第1話のうちに、60分じゃなくて、15分拡張とかなのに、設定の説明しかしていないドラマが多かったの」
「なるほどね」
「設定の説明だけでも、台詞のセンスあるなぁとか、人物造形がユニークだなぁとか、分かることはあるけど、でも物語の中心となる事件、立ち向かう課題が明らかになってないから、面白いかどうか、判断できないの」
それから夕食を取りました。レタスを咀嚼しながら、誰も興味をもたないような私の戯言をちゃんと最後まで聞いてくれる彼方は素敵だなと思いまいした。

探しながら紡がれる物語-「ギンイロノウタ」もクレイジー

覚醒されたのは失くしてた傷跡
この身体が奪われてく
「侵食」(L'Arc~en~Ciel)

第155回芥川賞を受賞された村田沙耶香さん。作家仲間たちからは「クレイジー沙耶香」と呼ばれているそうです。語呂はいいですが、あまり捻りのある呼び名ではありません。きっと、率直な感想なんだろうなと思いました。

さて、「ギンイロノウタ」です。

あらすじ:極端に臆病な少女・土屋有里は、周囲におびえながら生きている。文房具屋で買った指し棒、銀色のステッキに救いを求めます。押し入れに自分だけの秘密の空間を作りあげていきますが、ある日……。

同時に収録されている「ひかりのあしおと」によく似た物語です。ただ長さが倍くらいある分、説明もしっかりしていました。なぜ有里が臆病におびえながら生きているのか、自分の価値をいっそう低くも積もるようになったのか。読み解くことができました。
うまく育てなかった少女が、藁のような支えを見つけたけど、それも奪われてしまって、燻りながら、歪みながら、大きくなっていく。
読み進めながら、救いはあるのだろうか? そればかりが気になりました。救いがあってほしいと願わずにはいられませんでした。

探しながら紡がれる物語

作風としてはまったく違うのですが、伊藤計劃さんを連想しました。伊藤計劃さんは2009年に若くして亡くなったSF作家さんで、代表作の「虐殺器官」と「ハーモニー」が劇場アニメとして公開され話題になりました。「虐殺器官」はアメリカで実写化映画の予定もあるそうです。
どこで読んだのか、定かでないのですが、伊藤計劃さんは、ある種の実験として小説を書いていたそうです。近未来の世界を作り上げて、その中で事件を起こり、自分の納得できる結論を探しながら物語を紡ぐ。いつもハッピーエンドにたどり着けず、今回も失敗か……とうなだれるそうですが。
村田沙耶香さんも同じような感覚で書いているのかなと思いました。
現代社会で、うまく育てなかった少女を設定して、少女はなんとかまともであろうと、自分で自分をまっとうに育てようとします。
伊藤計劃さんがSFで、世界の実験をしているように、村田沙耶香さんは人物を創造して、実験をしているような印象を抱きました。どんな結論になるのか、自分でも分からないまま、物語を書いているのだとしたら……。さすが「クレイジー沙耶香」です。
伝えたいことがあるから物語を書くのではなくて、伝えることを探しながら物語を書く。「ひかりのあしおと」も「ギンイロノウタ」も、そのプロセスを見せられたような気がします。
もしかすると、その最初の集大成が芥川賞受賞作「コンビニ人間」なのかなと思うと、ますます読みたくなりました。

育ち間違えたとき、誰が育て直してくれるというのか-「ひかりのあしおと」に救いを探す

今まで無くしたものと これから君が見るもの
すべて取り替えたならば 変われるのかな 変われるのかな
「光のロック」(サンボマスター)
「ギンイロノウタ」(村田沙耶香)を読みました。
ふいに「コンビニ人間」が読みたくなって、書店に行きました。「コンビニ人間」は第155回芥川賞受賞作品です。つい最近の受賞作なので、品ぞろえているだろうと思っていたのですが、ありませんでした。仕方ないので、なんとなく気になった本を買いました。
家に帰って、読みはじめてから気づいたのですが、「コンビニ人間」と同じ著者でした。それと思わずに買ったというのは、なにか宿命なのようなものを感じます。帯に「祝・芥川賞」と書いてあるのに気づかなかったのは、さすがに自分でもどうかと思いますが。

さて、「ギンイロノウタ」は、表題作他「ひかりのあしおと」の2編を収録しています。どちらの物語にも共通するファクターがあり、1冊の本に収められるのがふさわしいなと思いました。

「ひかりのあしおと」(村田沙耶香)
あらすじ:幼少期のエピソードから光におびえながら暮らしている女子大生・古島誉は、いびつなレンアイ関係に救いを求めながら、母とは思えない母と日々暮らし、あるとき、”そこが陽だまりかと錯覚する様”な男子・芹沢蛍と出会う……。

あらすじだけ書き出してしまえば、ボーイ・ミーツ・ガール、まるで恋愛小説です。確かにそういった一面もあります。しかし、本題は、うまく育つことのできなかった少女のもがき様のように読みました。生き様ではなく、もがき様。

大人たちは育ててくれない

この物語は、情けないというか、大人げない大人はたくさん出てきます。悪意はないのでしょうが、誰も自分のことで精いっぱいです。そんな大人たちに囲まれて、時には利用されて、誉はうまく育つことができませんでした。うまく育つことができなかったどころか、何かに追い詰められています。軌道を修正しようとするけど、上手くいかない。もがけば、もがくほど、ますますおかしくなっていきます。ただ救いを求めているだけのに、どんどんずれていく。
そのさまが、生々しく、奇妙で、妙に愛らしく感じました。
だって、周りの情けない大人たちに比べて、歪みながらもまっとうであろうとしている誉は、どんなにずれていても健気に感じました。誉もまた「世界に×をつけないために自分に×をつけた」少女だったのかもしません。

はたして救われたのか

前述のとおり、この小説は、ボーイ・ミーツ・ガール、光をおびえる少女・誉と””そこが陽だまりかと錯覚する様な”少年・蛍の恋愛ものとして読むこともできます。
これまでの歪みから救ってくれるかと思いきや、蛍とのやりとりに救われた誉はますます歪んでしまいます。
色々と経て、誉は光へのおびえを克服します。一見、ハッピーエンドです。でも、私には、また新たな歪みのはじまりに思えました。それでも救いがあったことが嬉しくて、新たな歪みのはじまりでも健気な誉が報われたのなら、それでいいやと頭から毛布をかぶりたくなりました。
とても怖い物語でした。

表題作「ギンイロノウタ」については、次に繰り越し。村田沙耶香さんという作家さんにも興味が湧いてますし、そのへんとまとめて更新予定です。

小劇場よりのさらに小さな空間での芝居-「宮川サキのキャラクター大図鑑」@おうちcafe4038

GWまっただなかの5/3に「宮川サキのキャラクター大図鑑」の公演が下松市内で行われるらしい。

宮川サキさんというのは、関西を中心に活躍されてる舞台やテレビで活躍されている方で、それはそれは面白い人らしいです。すみません、不勉強で恥ずかしい限りですが、伝聞です。
以前も市内で公演をされていて、それを観劇した人は「あまりにもよい!」と言っていました。まず、一人の役者が複数のキャラクターを演じるそうです。その演じ分け、演技力の高さにまず圧倒されるそうです。たった一人で作り出しているとは思えない世界観に飲み込まれて、腹の底から笑えるし、撃たれたように泣けるそうです。
勝ち誇ったように「見ないのは、損してるよ」と言われて、その場は愛想笑いで逃げましたが、はらわた煮えくりかえっていたのは言うまでもありません。
次の機会があれば、逃してなるものか、と心に深く刻みました。

その機会が、ようやくやってきました。
そんな「宮川サキのキャラクター大図鑑」ですが、2回公演です。なんと、1回目と2回目で内容が違うそうです。さて、どうしたものでしょうか……。まず夕方を見て、ひどく気に入ったら、夜も見るというのが必勝パターンかな。

ぜひ観劇して、誰かに「見ないと損だよ」と勝ち誇りましょう! 詳しくは会場でもある「おうちcafe4038」のブログにて。

宮川サキのキャラクター大図鑑

出演・作・演出:宮川サキ

日 時 :2017年5月3日(水・祝)①16:00〜 ②19:00〜

料 金 :一般2500円(4038さんどとドリンク付き)

     学生1500円(4038サンドとドリンク付き)要学生証

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